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東京地方裁判所 昭和30年(行)11号 判決

原告 東省三 外一名

被告 国

訴訟代理人 星智孝 外一名

主文

原告がいずれも日本国籍を有することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、原告省三は明治四十三年十二月二十八日台湾台中州員林郡浦塩圧浦塩二百六十五番地において同地に戸籍を有した父陳王、母張氏追の間に生れたが、昭和四年八月一日陳氏を廃家して内地人である訴外竹森光子と入夫婚姻し、竹森家の戸主となり、当時施行中の共通法第三条の規定により台湾の戸籍から除かれ、内地人の身分を取得した。その後昭和二十一年三月十六日右光子と協議離婚し、昭和二十二年十二月二十二日法律第二百二十二号民法の一部を改正する法律による改正前の民法(以下単に旧民法という)第七百三十九条の規定によつて実家に復籍すべきところ、実家が廃家となつており復籍できないため、同法第七百四十条によつて東京都京橋区月島通り十一丁目一番地に一家を創立し、昭和二十四年七月四日「陳」から「東」と改姓し、その後同都中央区築地四丁目八番地に転籍し、昭和二十七年二月十二日原告嘉子と婚姻した。

二、原告嘉子は、昭和四年五月二十四日当時同都品川区豊町六丁目百六十八番地に本籍を有していた父葛西保、母かねの間に生れたものである。

三、東京都中央区長はへ昭和二十九年五月二十七日原告省三の前記一家創立による新戸籍の編製は過誤に基ぐものであるとして右戸籍を消除し、且つ同時に原告等の婚姻の記載をも消除した。

四、しかし原告等はいずれも日本国籍を有する者である。

(1)原告省三は、前記のとおり昭和四年八月一日竹森光子と入夫婚姻したことによつて内地人の身分を取得したものであるが、右光子との離婚によつて内地人の身分を喪失するものではない。即ち共通法によると内地人と婚姻或いは養子縁組をした台湾人は、戸籍法、親族法は勿論法律上すべての点において内地人の身分を与えられたのであるが、これらの者が離婚或いは離縁した場合については共通法にはなんらの定めがなかつたから、当然元の台湾人の身分に復することはなかつたのである。従つてこれらの者に対しては旧民法及び戸籍法が適用されることになるが、旧民法第七百三十九条、第七百四十条には復籍すべき戸籍を有しない台湾人は台湾において一家を創立しなければならない旨を定めていないから、これらの者は自由に選択して内地或いは台湾において一家を創立できるものである。

(2)  原告省三が右竹森光子と協議離婚した昭和二十一年三月十六日当時には、日本国と連合国間の降伏文書が調印されて、共通法の効力は停止されていたのみならず、日本の主権は事実上台湾に及ばなくなつていたから、婚姻又は養子縁組によつて内地人の身分を取得していた台湾人が離婚或いは離縁した場合にも、婚姻又は養子縁組によつて日本国籍を取得していた一般外国人の離婚或いは離縁の場合と同様に内地において一家を創立することは許されるべきである。なお原告省三は中華民国の国籍を取得していない。このように原告省三の前記一家創立の戸籍は過誤によるものではなく、前記場所において一家を創立した原告省三はなお日本国籍を持続しているものである。

(3)  原告嘉子は、前記のとおり内地人である父母の間に生れ、日本国籍を離脱したこともなく、又台湾に居住したことも、その戸籍に入籍したこともないから当然日本国籍を有する。しかるに前記のとおり原告等の戸籍は消除されているから、原告等が日本国籍を有することの確認を求めるため本訴に及んだ。

と述べ、

被告指定代理人は「原告等の請求を棄却する」との判決を求め請求原因事実に対する答弁及び主張として

一、請求原因一から三までに記載された事実及び同四の(2) 記載の事実中、昭和二十一年三月十六日当時既に日本国と連合国間の降伏文書が調印されていたこと、同(3) 記載の事実中原告嘉子が台湾に居住したことがないことはすべて認めるが、その他の事実及び原告主張の法律上の見解は争う。

二、原告等は日本国との平和条約発効当時台湾人の身分を有し・台湾の戸籍に入るべきものであつて、右条約の発効によつて日本国籍を喪失したものである。

日本領有時代においては台湾は統治上内地と区別される異法地域であり(共通法第一条第一項、第二条第二項)また身分上も台湾人と内地人とは両者截然と区別され、内地、台湾相互間における転籍、就籍、分家、一家創立等の自由は全く許されていなかつたのである。ただ婚姻或いは縁組等の一定の身分行為により一の家を去つて他の家に入る場合にのみ、内地と台湾との間に家籍ないし身分籍の変更をきたすことが認められたが、この場合にも離婚或いは離縁等の身分変動事由のため復籍すべきときは法律上当然にもとの身分に復せしめられた。(右は明文はないが共通法の建前からそう解すべきである)そしてこれら一定の事由による家籍ないし身分籍の変動以外には、台湾人と内地人との身分上の変更はあり得ず、また内地人でなければ内地で一家を創立することは許されず、台湾人は台湾においてのみ一家を創立することができたのである。

ところで原告省三は、その主張のように昭和四年八月一日台湾の家を廃家のうえ、内地人竹森光子との入夫婚姻により内地人の身分を取得し内地の戸籍に入つたが、昭和二十一年三月十六日同訴外人と離婚したから前記の理由により直ちに内地人の身分を失い、台湾人の身分に復し、内地の戸籍から除かれて台湾の戸籍に復すべきこころ、廃家のため復すべき家籍がないので、台湾において一家を創立すべきであつたのである。

原告嘉子は、このような台湾人である原告省三と婚姻したから、台湾人の身分を取得し、内地人の身分を失い内地の戸籍から除かれて台湾において創立せらるべき夫省三の家に入るべきものである。(右も明文はないが共通法の建前からそう解すべきである)

ところで従来一般的に認められている国際法の原則によると、戦争に基く領土の割譲は平和条約によつて確定され、領土割譲に伴つて生ずる国籍変動の範囲も亦平和条約によつて定まるものと解されているが、日本国との平和条約及び日本国と中華民国との平和条約においては、単に我が国が台湾等について主権を放棄することを規定するだけで、それに伴つて生ずる国籍変動の範囲如何の問題については明確な規定がない。しかしこれらの条約の趣旨は、カイロ宣言及びポツダム宣言受諾の経緯等からみていわゆる日本国の侵略の結果を侵略前の状態に復することにあると解されていて、これを台湾についていえば、台湾を日清戦争による日本の併合前の状態に復することにあると解されるので、平和条約によつて日本国籍を喪失すべき台湾人の範囲は、日本が領有しなかつたならば、台湾人として中華民国国籍を収得したであろうと認められるすべての人を含み、生来的台湾人はもとより、日本領有後に婚姻、縁組等によつて台湾人の身分を取得しその戸籍に入つた者も含まれると解するのが正当である。そして原告省三はもともと台湾人で平和条約発効当時既に台湾人の身分に復していたし、原告嘉子も原告省三との婚姻によつて当時台湾人の身分を取得し、いずれも台湾の戸籍に入るべきものであることは前記のとおりであるから、日本が台湾を領有しなかつたと仮定すれば、台湾人として中華民国の国籍を取得していたであろうと考えられるから、原告等は平和条約の発効に伴い日本国籍を喪失したものである。と述べた。

〈立証 省略〉

理由

一、まず原告省三の請求の当否について判断する。

原告省三が原告主張の日に台湾台中州員林郡浦塩圧浦塩二百六十五番地において、同地に戸籍を有する父陳王、母張氏追の間に生れ、昭和四年八月一日陳氏を廃家して内地人である竹森光子と入夫婚姻し、その後昭和二十一年三月十六日同訴外人と協議離婚し、東京都京橋区月島通り十一丁目一番地に一家を創立し、原告主張の日に姓を現姓に変更し、その後現本籍地に転籍したことはいずれも当事者間に争がない。

被告は共通法の適用を前提として原告省三は前記竹森光子と協議離婚したことにより台湾で一家を創立すべきであつたから平和条約により日本国籍を喪失したと主張する。台湾を領土の一部としてそこに適用せられるべき法規の範囲を規定した共通法が終戦後である昭和二十一年三月十六日当時にその効力を有していたかどうかは困難な問題である。従来の国際法の原則によると戦争に基く領土の割撰、従つてこれによつて生ずべき国籍変動の範囲が講和条約によつて確定されると解されてきたことは被告所論のとおりであるが、今次戦争の場合にも右の原則が無条件に適用せられるべきであるかどうかは非常に疑わしい。即ち昭和二十年九月二日我が国が降伏文書を調印したことによつて正式に受諾したポツダム宣言の第八項には「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と規定され、同宣言に引用スルカイロ宣言第三項には「右同盟国ノ目的ハ………並ニ満州、台湾及ビ膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ………」と規定されている。このように前記降伏文書は単に軍事的停戦だけではなくて、政治的にも日本の保有すべき領土を一部の小島を除いて決定しており、右文書は我が国を代表する代表者の調印がされたのであり、その後平和条約が締結されるまで我が国は連合国の管理下にあつて、台湾に対する統治権はなく右連合国の管理政策においては台湾人はいわゆる解放国民として遇され我が国民とは区別されていたのであり、そして平和条約において日本国は台湾及び膨湖諸島に対するすべて権利、権原及び請求権を放棄する(第二条(b))こととなつている。これらの事実から考えると我が国はポツダム宣言を受諾することによつて、すくなくとも台湾についてはその主権を既に放棄したのであつて、平和条約においてその事実を確認したと解するのが相当であるから、台湾人が日本国民たることを前提とする共通法は降伏文書の調印とともに台湾に対する関係においては失効したというべきである。そうすると共通法の適用のあることを前提とする被告の主張は失当である。

しかして台湾人の国籍の決定については前記降伏文書及びカイロ宣言にはなんら明らかにされておらない(このことは平和条約においても町様である)ので不明確であるが、前記カイロ宣言第三項によると右宣言加盟国の戦争目的が日本が侵略によつて得た諸領土をその侵略前の状態に復すること、すなわち台湾については日清戦争による我が国の併合以前の状態に復帰させることにあつたことが明らかであるから、日本の領有がなかつたならば台湾人として中華民国々籍を取得したであろうすべての者は、日本国籍を失い、中華民国々籍を取得すべきものであつたと解すべきである。中華民国政府においても台湾居留民は千九百四十五年十月二十五日以降中華民国々籍を恢復することとしている(行政院公布「在外台橋国籍処理弁法」(一))。

従つて台湾人は前記降伏文書の調印によつて日本国籍を喪失したものといわなければならない。ところが台湾人の国籍が前記のようにして決定されるべきであるとすれば共通法施行当時において内地人と入夫婚姻して内地人の身分を取得した台湾人は、当時施行されていた明治三十二年法律第六十六号国籍法(旧国籍法という)第五条第二号の規定を類推して、降伏文書の調印によつては日本国籍を喪失しないものと解すべきであり、その後の当該台湾人の身分関係の変動による国籍得喪の問題については一般外国人と同様国籍法の適用を受けることとなつたと解するのが相当である。しかして昭和二十一年三月十六日当時施行されていた旧国籍法第十九条によると婚姻によつて日本国籍を取得した外国人が離婚した場合において当該外国人が旧国籍を取得すべきときは日本国籍を喪失することとされている。ところが本件のような人夫の離婚については入夫婚姻は中華民国においては認められておらず、従つて国籍喪失の原因とされておらなかつたから、原告省三が入夫婚姻によつて取得した国籍は、竹森光子との協議離婚によつて喪失する場合に該当する訳であるが、成立に争のない甲第二号証及び弁論の全趣旨によると同原告は前記「在外台橋国籍処理弁法」によつて中華民国の国籍の恢復を申出ておらず終戦後同国籍を取得していないことが認められるから、前記国籍法第十九条に該当しないと解するのが相当である。そして他に国籍喪失の原因の認められない本件では原告省三は竹森光子との入夫婚姻によつて得た日本国籍をなお保有するものといわざるを得ない。そうだとすると東京都中央区長が原告省三の一家創立による新戸籍の編製が過誤に基くものであるとして戸籍を消除していることは当事者間に争いがないから、原告省三が本訴について確認の利益を有することは明らかであつて、原告の本訴請求は理由がある。

二、原告嘉子の請求の当否について。

原告嘉子が昭和四年五月二十四日同原告主張の場所に本籍を有する父母の間に生れたことは当事者間に争いがなく、共通法が失効していること及び原告省三がなお日本国籍を有することは前記一で説示したとおりであるから、原告省三と婚姻した原告嘉子が日本国籍を喪失しないことも又明らかである。しかるに原告省三と同嘉子との婚姻の記載を消除したことは当事者に争いがないから、原告嘉子も本訴について確認の利益を有することも又明らかである。

従つて原告等の本訴請求はいずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 地京武人 井関浩)

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